東京高等裁判所 昭和44年(う)1739号 判決 1970年1月19日
主文
本件控訴を棄却する。
理由
<前略>
控訴趣意六の論旨について。
所論は、原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈、適用の誤があると主張するが、その骨子は、原判示第三の各詐欺罪について、原判決の認定によれば、被害者である遠藤信、滝崎義雄及び清宮長吉の三名としては、税務署職員に贈賄して課税標準及び税額を安くし、或いは更正処分を免れようとして進んで被告人に小切手、現金等を交付したものであるから、贈賄を期待し、或いは被告人に贈賄行為をしてほしいと意欲し予見して小切手等を交付したものといわねばならない。このような小切手等の交付は、不法原因給付であるとともに、右のように贈賄行為に出ることを期待し、或いは贈賄の教唆類似の期待をもつてその資金として交付した遠藤らには、財産犯の被害者として保護すべき保護法益に欠けるもののあることはもちろん、かかる期待ないし予見をもつて小切手等を交付した者まで保護するために詐欺罪をもつて騙取行為を禁止せんとするものではない。従つて、原判決が被告人を詐欺罪をもつて処断したのは、詐欺罪の構成要件、とくに保護法益の解釈を誤り、ひいて刑法二四六条一項の適用を誤つたものであるというにある。
しかし、たとえ被害者らが所論のように贈賄を期待するなどの意図をもつて被告人に小切手等を交付したとしても、被告人において、被害者らの期待するように贈賄するなどの意思がないのにその意思があるように装つて小切手等の交付を受けて被害者らの財産権を侵害した以上、被告人の行為が詐欺罪の規定の適用を免るべき理由はない、論旨は独自の見解であつて採用できない。
控訴趣意七、事実誤認の論旨について。
二、原判示第三の一ないし三の各事実について。
よつて記録を調査して審案するのに、原判決の挙示した関係証拠を総合すれば、原判示第三の一ないし三の、遠藤信、滝崎義雄及び清宮長吉の三名に対する各詐欺の事実を肯認するに十分である。
そして、所論が右各事実を通じ、総論のイとして主張するところに徴し、原判文及び関係証拠を対比して検討するのに、とくに被害者遠藤らは各捜査官調書中において原判示に全く照応する各詐欺被害顛末を供述しているのであつて、これらの証拠は、その供述内容全体に照らし、十分信用性のあるものと認められ、原判決が被告人の各捜査官調書その他の関係証拠と相まちこれらの事実につき有罪を認定した点には、何ら証拠の価値判断を誤つたというごとき事由は存在しない。従つて所論のように原判決が、被告人が遠藤らから受領した小切手ないし現金の額の多額なことのみに気をとられ、被告人が税務署職員に対し金品を贈与したり饗応したりするための運動費ないし工作費が必要だと申向けたのでなければ、遠藤らがかかる多額の小切手等を交付するわけがないと即断した誤をおかしたとはとうてい認めがたく、又所論のように原判決が、証拠の価値判断を誤り、被告人の受領した額が多額であるのゆえをもつて報酬ではなくして、贈与ないし饗応等のための費用として受領したものと認定したものではないことも明らかである。ただ一般論として、所論のように被告人のごとく税の知識のある者がその知識を活用して税法所定の各種の利益を受けられるように申告すれば、事実上税額に差異を生ずる場合があることはこれを否定しがたいところであるから、依頼者たる納税者が当該減額された税額の幾割かを報酬として支払うゆえ申告手続をしてもらいたいと依頼することもあり得るであろうが、本件の場合、遠藤らは、被告人の前記運動費ないし工作費にあてるとの虚言(現に被告人は、後にも言及するように、受領した小切手等を運動費等に一銭もあてていない。)を誤信して小切手等を被告人に交付したものであつて、もしそれが虚言なら被告人に小切手等を交付しなかつたことは証拠上明白であるから、右一般論をもつて律すべき場合とはいえない(もつとも、遠藤らの各原審公判証言によれば、同人らが小切手等を交付した趣旨中に、一部原判決のように手数料ないし報酬の意味も含まれていた事実が認められないではないが、これらの証言全体を通すれば、手数料ないし報酬の占める比重は、全体中の僅少の部分であり、そのほとんど大部分が前記運動費ないし工作費にあてられる趣旨であると誤信していたことにあることが明白であるから、右手数料ないし報酬の趣旨が一部包含されていたからといつて、本件詐欺罪の成立に何ら消長を及ぼすものではない。)。<以下省略>(栗本一夫 石田一郎 藤井一雄)